”歩けばそれ即すなわち武”
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武士がいた時代で考えてみましょう。くせ者がいた時
に、あ・・怪しいな・・こっち来た!刃物持っている?
よし、刀を抜いて応戦だ!
としていたらおそらく命がいくつあっても足りないで
しょう。日頃から鍛錬を積み、気の受信感度を上げ常
に気を張って生活を送る。今の時代でいうならば懐い
ていない野良猫ちゃんとしてみてはどうでしょう?武
士に失礼がない様補足しますが、ただの例えですので
祟らないで(*・ε・*)
動物は今の飼いならされた人間よりも霊力を使う事に
長けている為に、こっそり近づいた所で逃げられるで
しょう。
私は小学生の頃に、なぜ気配をコントロールできない
のか?なぜ瞬間的に移動ができないのか?やり方忘れ
たのか?さっきまでできていたのに?という一般的に
考えれば即心療内科行きのことを真面目に悩んでいま
した。ここでは内容を割愛しますが、いかに懐いてい
ない野良猫ちゃんに近づく事ができるか、日々研究?
という言い方だと大げさですが、そんな遊びをしてい
ました。
最初はもちろん全然ダメ。あるときに思考を読まれて
いる・・・と感じた事がありそこから無にする練習を
しましたが、子供ですから雑念が次から次に出てきて
子供ながらにすごく不思議な体験に喜びを感じていま
した。この話は後に続きます・・・・
要約すると、襲われた→身構える→対応するでは遅い
のです。
襲われない様にする。その為には気を張るのです。
しかし気を張るを勘違いして殺気を放っていると次から
次へと絡まれるのです・・・まぁ人相にもよるのでしょ
うけれども。高校時代には私はこの状態でした。
よくカツアゲされてました(*・ε・*)
さて次に行きましょう〜
ある1つの技をかける場合を考えてみる。技をかける
前に息を止め、かけ終わって息を吐くというのが典型
的パターンでしょう。
真に力を一点に集中しようとすれば、息を止めてそれ
だけの動作に絞れる訳です。
しかし息を止めている時間が長いと、その間体内の酸
素の欠乏が高まりこれが疲労に通じる訳です。
合気道の技は一瞬にして決めるというのもそこにある
訳です。
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息を止める事で一撃必殺になる様な瞬発的な力は発揮
しやすくなります。筋トレなどが良い例かもです。
高重量を扱うときに優雅に呼吸をしている人はそうい
ないでしょう。
しかし、達人になればなるほど、その溜めたエネルギー
に敏感に反応し当てることは不可能です。
必ずその前、力を溜めて発散させるその刹那の瞬間に
必ず止められます。又は軽くいなされます。
この経験も高校生の時にしております。自分より軽い
タイ人とキックボクシングの練習をしているときに攻
撃を出すコンマ1秒前に必ず軽〜い触るくらいの攻撃
というか、触る動作だけなのにこっちが吹っ飛ぶくら
いにあしらわれるのです。いくらフェイントをしても
騙せない・・・
ここで猫ちゃんとの修行が生きるのです。まさか同じ人
間なのに動物並みの察知能力ある訳がない。そう決めつ
けていましたが、それ以外に説明がつかない。
そこで猫ちゃんに近づける時のモードになるとあら不思
議・・・面白い様に攻撃が当たる当たる。
当たった瞬間に喜びという雑念が湧き出てきて結果ボコ
ボコにされましたけども(*・ε・*)
”いつまでも稽古相手を痛がらせて喜んでいる様では、
永遠に合気道の高みに到達する事は出来ません。”
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はい。まさに高校の時の私です(*・ε・*)
結果格闘技からは学ぶ事は出来ませんでしたが、整体
を本気で学ぼうとし、日々試行錯誤していた時にここ
でいう”高み”の片鱗に触れました。
筋肉はいくら鍛えても自然に衰えてきますが、呼吸力
はそうではない。
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これを理解した時に無理にトレーニングする事を手放
しました。それから体調が良くなりましたし、思考に
柔軟性が付いたと同時に選択の幅が広がりました。
プロテインは飲まないといけない、サプリは健康に良
いのである。そんな洗脳を受けいていた自分に初めて
気がつくきっかけともなりました。
これは虚弱体質で生まれた事が引き金となり”強さ”に
憧れて道を違えた事を今なら理解できます。
そしてこの寄り道はすこぶる整体をする上で役にたっ
てくる事はこの時は知る由もありません(*・ε・*)
心の問題とは即ち無になれという事です。
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猫ちゃんに近づく練習している時にこれを理解とまで
は言えませんが、片鱗に触れた感覚がありました。
無とはないこと。思考をからにする事だと思っており
ましたが、思考を空にするのは難儀でした。
そこで猫対私ではなくて、猫=私とイメージをして猫
になりきる作戦をするのです。
あ〜日向が暖かいと思って寝てると思ったら日の心地
良さに注力をして、心地よさを感じる。そして猫に近
づくのではなくて、猫と一体となる=同じエネルギー
体になるイメージをする。そこで猫と自分が一体化し
たイメージが完成するともうこっちのものです。
近づいて触っても大丈夫。
イメージがうまくいかない時は相手が拒否をしている
・・・と私は認識して、迷惑かけない様にそっと離れ
るようにしてました。
集中力を生み出すコツは足の親指にあります。これを
鍛えてグッと床に噛ませる。すると腰にビーンと力が
入って強くなる。このビーンという感覚がわかる様に
ならないといけない。
この力に今度は膝のバネを使い加速を付ける。
需要なポイントは”膝にある”。
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人間はどうしても足が起点となります。足の親指さえ
力を入れて重心をしっかりと真ん中に保つ事で、顔
は笑顔で身体はリラックスしている様な演出が可能に
なります。
達人同士になると、お互い間合いに入らないので、素
人目では見ても????となる訳です。
師であり弟子であり、弟子であり、師である。常に真
の謙虚さ、これをもって接しないと、人の心も体もよ
く理解する事が出来ないと思います。
学生の頃は理解し難いものでした。これも整体を学ぶ
過程で身にしみた事であります。
教えてあげるという精神では、己が勿体無いと思います。
いい人ぶるという事ではなく、教えてあげているんだか
らという精神でいると、教えても出来ないから教えるの
である事を忘れて、なんで何回教えても出来ないんだ!
といら立つのです。
教えてあげているという認識ではなく、伝えさせて頂く
学びである。相手が出来ないのは自分の説明スキルを磨
くチャンスであると同時に復習にもなりより学びが深ま
るものです。
教えるご縁を頂ける事に感謝する事で、双方にストレス
がなくなり、教えながらにして学べるという最高の状態
になれる。
と私は思っております。
人が人を倒すための武術が必要な時代は終わった。
そういう人間は自分が最後でいい。
これからは、悪いものを制する事に時間を使うのでは
なく、人と和すにはどうしたら良いか?共生の為と自
分を磨くのに時間を使う時代だと感じます。
自分を磨くとは、人を叩くのではなく、叩きたくなる
対象を見て、己を省みるという作業ができる事に感謝
を手向けるという事です。
合気道で1番強い技、それは自分を殺しに来た者と友人
になる事。
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今これ最終試練?最終とは今の学びを終えて次のステッ
プに行く為の試練として実際に起きていて今ブログを書
きながらリアルタイムだし人生良く出来ているぜ・・・
なんて思っております。
まさかの人物が攻めてきているのです(*・ε・*)笑
時が来たら笑いのネタとしいて披露していこうと思いま
す笑
敵対心を無くし、自分と相手の間で生じる事を全て気と
捉え、相手と自分の気を合わせる。こうなれば相手は拮
抗力を自然と失い、協力状態となる。
己を無にして、相手と一体となる。